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実は牛の話だった・・・!?『あした、どこかで。3』その3


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こんにちは、さえぐさはなえです。

最後は「もの差し」を変えて「本当の自分」に出会うことについてお話ししたいと思います。

『あした、どこかで。3』では「失う苦しみ」をテーマにしているとあとがきで書きましたが、どうして苦しいのかというと自分がこうであって欲しいと思うことが叶わなくなった時に、どうしても受入れ難くなって苦しみに変わるのだと思います。

けれどもし、花を見ている間だけが幸せだとしたら、花が散ってしまったら不幸ということにになってしまいますよね。

でも花を愛でる心は・・・? 大切にしてさえいれば、どこにも行きません。

だからこそ再び花にめぐり会った時、いえ、思い出しただけで、何度でも幸せになれるのではないでしょうか。

心は自分の中にあって、誰にも奪われないものです。

「花がきれいだから好き」なのではなく、「花が好きだからきれい」と感じられるのだと思考を切替えてみましょう。

そうすると、幸せは「花のきれい度合い」で決まるのではなく、「花の好き度合い」で決まるので、好き度合いを高めるほどに花は楽しめるのです。

そして何よりも「花を好きな自分」はどこにも行きません。

花を好きな自分の心を大切にして生きていけば、いつでも幸せに出会えるし、新しい出会いの中でより豊かな人生を歩めるでしょう。

これが私の辿りついた『十牛図』の「六、帰牛帰家(きぎゅうきか)」=真の自己と再び一つになる、辺りまでです。

あと4枚の絵はさらに高度です。

残り4枚と照らし合わせてみると、もしかすると次のagainではいいセン行ってるかもしれないとは思うのですが、特に意識して作った訳ではないので、『十牛図』のお話はここでおしまいにします。

よかったら皆さんも『十牛図』を見てみてください。面白いですよ。

さて「本当の自分」を見つけたスズメはいつもと変わらない日常の中で、何に出会ったのでしょうか。

答えは最後のページにあります。

“どこにいるの?” “ここにいるよ!” 常識にとらわれずに文字を自由にレイアウトしたシーンの一つ。
ここでは「足もとからする声」をイメージしました。
“ここにいるよ!” あえて「そばにいる」のではなく「ここにいる」という表現を使う必要がありました。
飛び込むスズメの向かう先は・・・? そう、あなたの胸の中。二つではなく一つになるのです。
うえださんが最高の写真を当ててくれました。
本の真ん中あたりにある、一斉に飛び立つスズメの写真。
自ら心にフィルターをかけてしまっているスズメは、皆が自分を置いて行ってしまうように見えます。
あとがきの後にある、一斉に飛び立つスズメの写真。自らの心のフィルターを取り除いた後、どう見えるでしょうか。「さぁ、いっしょに飛び立とう」と言っているように見えませんか? そんな願いを込めたシーンです。
お話の最後から一つ前のシーン。よく見るとスズメとスズメの間に少し空いているところがありますね。
ここは「あなたのためのスペースですよ」というメッセージです。
一つのものを二つに分けて、確かな一つになったら今度はまた仲間のもとへとかえっていくのです。

おわり

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実は牛の話だった・・・!?『あした、どこかで。3』その2


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こんにちは、さえぐさはなえです。

今回は私が引き込まれた『十牛図』を手がかりに、スズメがどのようにして「本当の自分」に出会っていくのかをお話ししていきたいと思います。

『十牛図』は禅の教えで、修行の段階を10の絵と詩で表したものです。

それは「一、尋牛(じんぎゅう)」という、牛がいなくなったと思った男が牛を探しに行く絵から始まります。

牛は「真の自己」を置き換えたものです。本来、どこにも行きようのない自分を見失ったと思って探しに行くんですね。

『あした、どこかで。3』では、スズメは自分を幸せにしてくれていた「何か」をなくした思い、旅をしながら「あなたは私の探しているものですか?」と尋ねます。

本当は「自分」を探しているのですから当然、相手からは「違いますよ」という答えが返ってきます。

でもスズメにはその認識がないので、もう見つからないと思ってがっかりしてしまうのです。

側から見ると滑稽かもしれませんが、光と鏡がなければ自分の顔を見られないように、人間はいつも何か外的な要素と照らし合わせて自分を見ているものです。

だから自分を見失ったと思うような時は、外的な要素によって思い込みや偏執といった何らかのバイアスがかかっていて、「自分が思う自分」と「本当の自分」との間に齟齬が起こっている状態なのではないかと私は考えます。

それは「世間の常識」とか「地位」「お金」など一見まともそうな知識でできた「もの差し」で測った結果生まれるのではないでしょうか。

『あした、どこかで。3』はそのバイアスを取り除いて、本当の自分に出会う旅のお話です。

ただ、このバイアスというのがどうにも厄介で、自分を過大評価する方向にも、過小評価する方向にも作用して私たちを迷わせます。

もし過大評価で勘違いしているなら「おめでたい人」ですし、過小評価で萎縮しているなら「もったいない人」で、いずれも「幸せな人」とは言えませんね。

どうも「本当の幸せ」を得るためには外的な要素による「もの差し」に左右されない「本当の自分」を確立させておく必要がありそうです。

お話の中でスズメが問答する動植物は、作者側が意図的に選んだものです。

サクラは散る、アジサイは色が変わる、イチョウは落葉する、タンポポは綿毛になる、ジョウビタキは渡り鳥。

そう、いずれも移り変わりがハッキリしているものたちです。

前回「諸行無常」でお話しした通り、周囲の環境は移り変わるもの。

それに合わせて一喜一憂していては身が持ちませんので、あえてわかりやすいものを選びました。

水鏡に映るものは…
“地味だけど” 自分を泥水に映して見れば、当然土色に見えますよね。
綺麗な羽ですね
“きれいで” でも違う角度から見たら?気がつかないだけで、本当は綺麗かもしれませんよ。

つづく

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