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毎月10日はコッペパンの日♪
コッペパンは日本独自のパンだよ。この誕生には田辺玄平という人の高い志から生まれたんだよ。
玄平さんは1901(明治34)年に渡米し、約10年間パンの製法を学んで明治43年に帰国したんだけど、当時の日本には冷蔵庫がなくて、生イーストの管理が難しかったんだって。
だから私財を投じて日持ちのするドライイーストを研究して「玄平種」を開発したんだ。玄平種は発酵が早くて味も安定しているから、大量生産をも可能にする画期的な発明だったんだよ!
玄平さんは1913(大正2)年、東京下谷黒門町に
一、食糧問題の根本的解決はパン食の普及にあり。
一、パン食の普及はパン製造法の改善にあり。
一、パン食に慣るるは国民の義務なり。
という理念で食パン製造工場を創設したよ。
実は玄平さんが渡米した明治30年代の日本は米の生産量が足りなくて、海外から輸入を始めたころなんだ。
日露戦争(明治37-38年)で起きた脚気問題や、大正7年の米騒動を受けて、日本の食料問題をパンで解決したいと考えていたんだね。
そんな玄平さんのもとには全国から弟子が集まり、その門弟が田辺家の家紋である「丸十」を商標に掲げ、全国に広げていったんだ。
コッペパンは、陸軍向けに1919(大正10)年に開発した携帯に便利なパンが元祖だよ。
「丸十のコッペパン」は玄平種と、それまでは棄てられていたラードを使用することで、柔らかくふっくらとしたパンに仕上がったよ。
東京・板橋の「MARUJU」を始め、日本各地で「丸十(マルジュー)」を冠するお店を見つけたらぜひ入ってみよう。
現代に息づく初代の思いがきっとあなたにも伝わってくるはずだよ!
🍙(•^Θ^•)🍙 またね〜♪
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