
こんにちは、さえぐさはなえです。
ここでは前回に続き、私が密かに『あした、どこかで。2』で取り組んだテーマに沿ってお伝えしていきます。
「そこから始めればいいんだから。」
後ろを振り返っていたスズメがくるりと向きを変え、まだ見えない先を見ているシーン、その後から始めます。
「ここはどこ?」

トコトコと次のステージへ歩いてきたスズメ。
このシーンは、パート1で「ほんとうに?」のスズメにきゅんとキタ!という読者のコバケンさんを意識したカットです。
こんなことができちゃうのも、普段からSNSなどを通じて読者さんと作者が直に声をかけあっているからなんですね。小さな会社ならではの利点だと思います。
純粋無垢な可愛いスズメの前に、謎の案内役が現れてさらに異世界へと引き込んで行く…というのも、不思議の国のアリスのようなおとぎ話的展開で私が好きなシーンのひとつです。
案内役に誘われるがままに、ひまわりを覗き込むスズメ。

「そこにおひさまがあるでしょう」
という“囁き”が聞こえた瞬間、次のページではパッと盛夏に移動してしまいます。
これも「気づき」の表現方法のひとつです。
実はこのシーン、オノ・ヨーコとジョン・レノンの出会いのエピソードを聞いて素敵だなぁと思ったその時から、私もそんなハッとさせるような、人の心を救えるようなカッコいい芸術をしてみたい、と秘めていたものを私なりに表現したものです。
だからここはとくに字を小さくしました。

私の記憶では、ヨーコのアートは脚立を登って、さらに虫眼鏡で見ないとわからないような小さな文字を天井に書いていたというもの。その言葉は確か…小さな“Yes!”。
ジョンはこれを見てとても喜んで帰ったといいます。
“Yes!”の意味するものは、“それでいいんだよ”
という肯定を表していますよね。“それでいいんだよ”と言ってもらえてジョンはほっとしたのでしょう。
アートの仕掛けとしては覗き込む気持ち 、好奇心とか冒険心となどの何かを求める「心」が大事という意味なのかな、と私は勝手に解釈しました。
つまり、脚立を登ろうと決めたその瞬間に、次の世界の入口に立っているということで、さらに虫眼鏡で本気度を試す。遊び心のある仕掛けだと思います。
スズメも覗こうと思う心があったから、次の世界へ行けたのかもしれません。
【補足】
「心」については『あした、どこかで。again~いのちの詩~』あとがきの「タイトルはなぜ4ではない?」の後半でも触れていますのでそちらも読んでいただくと、救いを求める彼の心を彼自身に気づかせたヨーコと、それに気づいたジョンは「共鳴」したのではないかと思えてきます。
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最後までお読み頂きありがとうございましたm(_ _)m